夕暮れの心

久々に久美浜へ行きました。

 

竣工して3年半ほど経つベイクックは、この日もお客さんがゆっくりと食事を楽しんでいました。

 

自ら設計をした建物でお客さんが食事していることに、はじめは感慨深いものを覚え、嬉しく思い、この仕事に邁進しているという自覚を心の糧にしていたけれど、時間の経過とともに、慣れて新鮮さが失われていく。

 

それを認めないように刺激を求め、新しいことへの活力で心を白く塗り替えようとしている。
同時に、そういった行為は本質を曇らせるということを深いところで理解している。

 

当たり前に眺めるように設計された2階席から、太陽が久美浜湾の奥に沈もうとしている景色を見た。

 

 

その時に少しずつ暗くなっていく山並みと空の明るさの対比が大きくなると、際立った空の明るさが鏡に近付こうとするさざなみの水面に映し出され、湾の本質が見えたように感じた。

 

煌々と明るい空の下では散漫に感じるものも、光が弱まれば浮かび上がるものもある。

 

心も同じで光が弱まれば、見えるものがあるのだと、感じることができた。

 

時間の経過とともに見るべきものが変化する。
その変化を見落とさないように今できることをしようと思う。

 

こういうのは、自ら設計した中だけでしか感じることはできないのだろう。