カテゴリー別アーカイブ: 芸術

芸妓は~ん!

京都の花街は、やはりなんとも言えない魅力があります。

 

しかしながら、京都で学生のときも、勤めているときも、お仕事で出入りさせてもらっている現在も、花街のお座敷遊びとは縁遠く感じます。

 

一度くらいは、舞妓さん、芸妓さんにお酒を注いでもらいたい、そう思っている人は少なくないのではないでしょうか。

 

言葉、所作、装い、そしてそれらを守り続けている文化、浮世離れした世界観に強く魅了されます。

 

歌、踊り、座敷のしつらえ、お食事、おもてなし、全てが融合した総合芸術だと思います。

 

そんなわけで、京都駅で開催されている、舞妓さん芸妓さんの写真展に行ってきました。

 

 

美しいのですが、写真では物足りない。。。

 

満足するには、その世界に足を踏み入れるしかないでしょう。

 

分かっているのですが、まだまだ遠い遠い世界です。

 

少しでも近く感じるように、芸妓さんの絵を描いてみました。

 

表現したいのは、透き通るような白。

 

黒地の画用紙に白を被せることで芸妓さんの魅力を浮き上がらせてみることにしました。

 

不思議なことに、絵を描いているというより、化粧をしているという感覚になります。

 

その白にパステルの淡い紅色をのせると、美しさが際立っていくのが分かります。

 

あ~美しい。

 

芸妓は~ん!

 

決して変態ではありませんよ。

 

今の私はこないして世界観に浸るしかないのどす。

 

 

 

 


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投 稿 日 : 2018年4月19日

ブランドロゴ考案

某ブランドのロゴ作成の依頼を受けて、その案を練り直しています。

 

建築設計は空間からはじまり、構造、設備、素材やパーツの全ての構成で建築を考えますが、ロゴはそれ自体で全てを表現しなくてはならないので、全く異なった考え方となります。

 

そのブランドのイメージや展開の仕方、デザインや作り手の思いを形に置き換えます。

 

設計で携わる建築に関わるロゴはイメージしやすく比較的考えやすいのですが、他業種のブランドロゴとなるとイメージを具現化するのに時間がかかってしまいます。

 

一目見て意味が分かってしまうものはロゴではなく絵なので、意味を保持しながら、見た目に無理がなくシンプルで、それでいて印象的な形状を模索します。

 

何かの動作を具現化したり、文字を変化させたり、物に置き換えたりと、様々な方向で意味と思いの表現を試みます。

 

何かにとらわれ思考が固まると、手を動かしていても同じ線を何度も引いてしまい、その形状から脱却できないという状況に陥ります。

 

こうなると何度線を引いても駄目、怖いくらいに手が同じことを繰り返します。。。途中で線を曲げようとしても曲がらない。。。

 

そんな大袈裟なと思うかもしれませんが、強い印象を持って繰り返しているとなるんですよ、これが。

 

こうなるまで考えさせてもらえるというのは、我々にとっては有難いことです。

 

前と同じ、あの時のようにとか、安易に考えているといつか何も生み出せなくなるでしょう。

 

苦しくも考え続けることのみが、前に進み新しく発展させる唯一の手段だと思います。

 

 

 


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投 稿 日 : 2018年3月14日

解体現場に現れた芸術作品

2店舗同時の設計を進めています。

 

現在その場所となるところは内装を解体してスケルトンの状態にしている最中です。

 

 

古い建物を解体していると、予想だにしないことが眼前に現れます。

 

この写真を見てお分かりになるだろうか?

 

 

丸太梁を支えている柱が切断され、梁にぶら下がっているように見えるこの写真。

 

極端に天井の低いところをばらして現れたこの構造。

 

改築を繰り返してるうちに、柱を抜かれているという恐ろしい状態は、解体現場ではよく見る光景だが、今回は少し違っていた。

 

よく見てみよう切断された柱の下端にワイヤーが張られている。

 

ワイヤーを両端の柱にアンカー留めし、この切断された真ん中の柱をワイヤーで持ち上げているという構図だ。

 

そもそも切断された柱は、梁ときちんと接合しておらず、添え木でつなげているだけの状態。

 

これでは梁から柱に力が伝わらないし、地震などの揺れに対してはワイヤーもろとも何の意味もなさないことが一目でわかる。

 

本来補強梁をいれ丸太梁と緊結するところをワイヤーで代用したつもりなのだろうが、案の定切断された柱を触ると。。。簡単にぐらぐらと動く動く、このワイヤーは全く意味をなしていないのである。

 

いやっ、待てよ、これは構造的な要素ではなく芸術作品なのかもしれない。

 

重力を無視するようなテーマの芸術作品ではないか。

 

柱も途中で抜かれたものではなく、新築当初からこの状態!?

 

解けてきた、芸術を愛する大工さんが、施したインスタレーションだったのだ。

 

それならこの偉大な作品を称えないといけない。。。

 

 

 

とはいえ、失礼ではあるかも知れないが、丸太梁の構造検証はしておこう。

 

芸術というものは思わぬところに潜んでいるのだと実感したのでした(笑)

 

 

 

 

 


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投 稿 日 : 2018年1月27日

丸刈りと個性

最近、中学校の丸刈り制度廃止が遅かった神戸市についての記事を読みました。

 

現在では考えられないと思いますが、神戸市内の市立中学校は男子生徒全員、強制的に丸刈りをしなくてはならない校則がありました。

 

私は小学生時、髪は坊ちゃん刈りのような長さで、6年生になってスポーツ刈りのような短さにし、慣らしていったのを覚えています。

 

この校則についてどうだったかと改めて考えると、そこまで嫌という感覚もなく、皆そうだから仕方ないという割り切った感じでした。

 

デメリットかどうかだが一目で中学生と分かることくらいなもので、頭を乾かす手間が省ける、髪型を考えなくてよい、散髪代が安いなど、恩恵の方が多かったように思います。

 

「個性の尊重」という観点でこの丸刈り制が廃止されたということだけど、個性なんてものは、髪型で表現するものではなく、内面的なものだと思うので、私の時代の丸坊主中学生たちは個性に満ち溢れていましたけど、と腑に落ちない間隔になります。
髪型で奪われるような個性なんて個性とは言わないでしょ。

 

周りの丸刈り世代も、このことを悪く言う人は一人もいないし、まあ知らないところに嫌だった人もいるだろうけど、皆同じ条件だし、逆にある程度髪型自由というほうが、困ってしまいそうです。

 

その反動で現在こんな長髪にしているわけではなく、これはこれで、髪型を一定に保てるし、散髪行く回数は少ないし、寝癖もつかないし、整髪料もいらない。

 

 

高専時代は髪を染めたり、整髪料つかったりしてたけど、それはそれでいい思い出で、でも今できるかといえば時間の無駄だとしか思えない。

中学生時代を再現してみました。

 

 

あっ、これ顔が老けたままですね。

 

顔も忠実に中学生時代に戻してみます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

実に男前でした。
個性が前面に出てます(笑)

 

丸刈りが個性を圧迫するかといえば、全く関係ないなと思った次第でした。

 

 

 


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投 稿 日 : 2018年1月9日