Monthly Archives: 8月 2018

MAMMA MIA! here we go again

お施主さんのお勧めでマンマミーアを初めて観ました。

 

前作はamazonプライムで観ることができました。

 

ABBAの曲も聴いて、準備万全で現在上映中の続編へ赴きました。

 

お施主さんは、8回泣いたと言っていました。

 

それと奥さんと一緒に行ったほうがいいと言われていたので、誘ったのですがあまり興味がないみたいだったので、一人で観ることに。

 

映画館に行くまでは、8回も泣くか~?と思い、期待しすぎるとかえって冷静に観てしまうかもしれないので、あくまで平常心で観ることを心掛けました。

 

ちなみに前作では、1回も泣きませんでした。。。

 

映画館について、リラックスするためにビールを頼もうと売店へ行くと、「ビールの販売時間は終わりました。」と。。。

 

なんでやねん、まだ21時やで?って思いながら、しかたなくそんなに飲みたくもないジンジャーエールを購入。

 

レイトショーでスクリーンに3組しかいなかったので、上映前も物凄く静かです。

 

いろんな心配をしていましたが、始まってすぐに、非日常な音響と映像の美しさに引き込まれました。

 

1回、2回、3回と泣いた回数を数えていました。。。

 

でも終盤に近づいてくると、ほぼ泣きっぱなしだったので、正確に何回泣いたか分かりませんが、5回~8回としときましょう。

 

久々に映画でやばいくらい泣きました。

 

泣いて声が出そうになるのをこらえるに必死でした。

 

こんな状態を晒したくないので、結果として嫁さんと一緒に行かなくてよかったと思いました。

 

泣き顔を平常に戻すために、なかなか終わっても席を立つことができませんでした。

 

エンドロールが終わると照明が点くのでそれまでになんとか戻さないと。。。

 

男ひとり泣き顔で出てきたら寒いですよね。

 

大袈裟ではなく、ここ数年で一番良かったです。

 

過去と現在の場面構成切り替えの自然さ、美しい配色の映像、音楽の全体構成のバランス、キャスティング、どれも申し分なく、ストーリーで心揺さぶられるというより、これら全ての要素が合わさって感動する、とても素晴らしい映画です。

 

映画館で観ることをお勧めします!

 

 

 

 

カテゴリー : pickup | 映画

投 稿 日 : 2018年8月31日

NEW WORLD

誰もが知っている「通天閣」。その場所は「新世界」という名称で有名です。

 

私が初めてここを訪れたのは、1990年代で、静かで恐怖や不安さえ感じるような灰色の情景だったのを記憶しています。

 

1990年代の灰色の世界は、10代だった私には重く、気軽にお店に入れるような雰囲気ではありませんでした。

 

通りを歩いていると、ランニングシャツとパッチのおじさんがお酒を飲みながら、じっとこちらを見てくるそんな場所でした。

 

当時は派手な服装を好んで着ていたこともあり、「よそもんが何しに来たんや。」といった視線を浴びたのを覚えています。

 

そんな場所も今では、観光客、若者や家族連れで賑わい活気のある雰囲気に変わっていました。

 

久しぶりに訪れたときは、自分の記憶違いかと疑うほどの変貌ぶりに少し驚きました。

 

そこで興味深くなり、「新世界」の歴史を少し調べてみました。

 

1912年に「新世界」は誕生しました。

 

当時の新世界は、ニューヨークのコニーアイランドのルナパークに似た「ルナパーク」という遊園地がありました。

 

名前、丸パクリやん!

 

そしてその時の「通天閣」は、凱旋門の上にエッフェル塔を載せた斬新な形態だったようです。

 

パクリからのコラボ!!

 

当時を知らない私は、この光景をおかしく思いながらも愛おしく感じました。

 

 

 

<新世界略歴>

 

1912年 「新世界」誕生。「初代通天閣」・「ルナパーク」開業

 

1915年 「天王寺動物園」開園

 

1918年 隣接地に「飛田遊郭」開業

 

1923年 「ルナパーク」閉園

 

1938年 地下鉄御堂筋線「動物公園前駅」開業

 

1943年 第二次世界大戦時に、金属回収令で「初代通天閣」解体

 

1945年 大阪大空襲で「新世界」被災・壊滅

 

1947年 「ジャンジャン横丁」復興

 

1956年 「二代目(現)通天閣」開業

 

1958年 「飛田遊郭」廃業により新世界も歓楽街として衰退

 

1961年 「金ケ崎暴動」により隣接する新世界のイメージ悪化

 

1970年~1990年代 労働者の溜まり場となり、若者はキタやミナミに流れる

 

1990年代~ 昭和の風情を感じさせるレトロな雰囲気が若者たちに最認知され徐々に盛況となる

 

 

 

歴史を調べて改めて1990年代の新世界が衰退していた頃に訪れた経験は、大変貴重なものだと感じました。

 

これらも「新世界」がNEW WORLDとなっていくことを期待し、楽しませてもらおうと思いました。

 

 

 

 

恐竜と時間の流れ

夏季休暇の締めは家族で福岡県の博多へ。

 

前から楽しみにしていた、「恐竜に会える夏」という舞台を観覧しに行きました。

 

近場の大阪でも公演があったのですが、どうせ観るなら旅行がてらにとの思いでした。

 

博多に来たのは約12年ぶりです。

 

まだぎりぎり20代の頃でしたね。

 

一回り歳をとってずいぶんと周りも変わりました。

 

恐竜が神秘的なものから、今ではエンターテイメントの一部となっているように感じます。

 

子供の頃は、図鑑や絵本や博物館で見て、それ以外の多くのものを想像で補っていました。

 

今では、映画でもTVでもテーマパークでも舞台公演でも、リアルな恐竜を見ることができる。

 

想像でものごとを創造する時代ではなくなってきたのかなと考えさせられます。

 

明らかに自分が子供の頃や若い頃と変わっているのだと、恐竜というものの表現だけでも大いに実感します。

 

しかし、それは悲観することではなく、想像力を更に上へ持ち上げないといけないことだと分かります。

 

そういった意味で、自分の恐竜というものに純粋に向き合った感覚がシンプルに時代の流れを教えてくれる。

 

恐竜がこんな形で時代を超えて、現代の流れの尺度になるとは思いもしないことでしょう。

 

 

とてもよい夏季休暇でした。

 

さて、新たな想像力で取り組みましょう。

 

 

 

 

カテゴリー : pickup | 恐竜

投 稿 日 : 2018年8月20日

心の温度

昨晩は焼肉店を経営する友人と、少し話をしました。

 

この先のことを淡々と粛々と。

 

もう40歳も超えると、熱く語り合うというようなことはありません。

 

それは冷めているのではなく、燃え上がる炎の温度が変化していくような感じです。

 

若い頃は、派手に燃え揺らめいている温度の低い「赤い炎」。

 

歳を重ねるごとに、温度は高温になり揺らぎもなくなり、真っ直ぐに研ぎ澄まされた「青い炎」に変化します。

 

晩年はその色もなくなり、「無色の炎」です。

 

ある小説の一文を自分なりに解釈を拡大させた表現ではあるけど、しっくりときています。

 

赤い炎は撒き散らせる分、温度が低いということですね。

 

無色には程遠いですが、青い炎を燃やし続けたいと思うのでした。

 

グランデザインは8/12~8/16までお盆休みをいただきます。

 

休み中は赤い炎くらいでいいかな。